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人間失格。 [芸能人]

映画人間失格観てきました。
もちろん1000¥デーに行ってきましたよ。
まいんはジャニオタですが、生田斗真君は嫌いではありませんが、大好きってほどでもありません。(魔王は毎週見ていましたが。。。)
もっと言うなら太宰治も全然好きじゃないし原作も読んでません。
でも面白くないかもしれないけど最近映画見てないし昔の日本ぽい映像が綺麗なんじゃないかなと思いそんなに期待せずに観に行きました。

ここからはまいんは正直かなり勢いで語ってしまいますが、読んでる方が気分を害したら申し訳ありません。
でも、それでも思った事をそのまま書かせてもらいます!!!

ほんと好き放題語ってます。お気分を害されない方はどうぞ。。。[もうやだ~(悲しい顔)]



まいんは、そんなに期待せずに映画を観始めましたが、始まって五分ぐらいで思いました。
これは面白いと



映画が終わって家に帰ってからは興奮冷めやりませんでした。
そして、痛感しました。
まいんは太宰が嫌いだと。
正直映画を見ても太宰の人間失格は読みません。
映画の方が優れてるからです。
何故なら映画に描かれてる太宰と小説に見られる葉蔵(太宰)はまるで別物なのです。
はっきり言って別人です。陰と陽と言ってもいいぐらい違います。
何がどう違うかというと例をあげるなら小説版人間失格は太宰が屈折する理由には幼い頃可愛がってくれた使用人達が悪口を言っているのを聞いてしまい、それによって信じ合ってもいないのに表面的につきあう人達の偽善が許せない、といった感じの記述がありますが、
映画版にはそんな描写はありません。

映画版の太宰では、何故太宰が屈折しているかその根本になる理由が全く違うのです。

まいんが何故太宰が嫌いかというと、なんか結局は金持ちのボンボンがうだうだ能書きたれてるだけ、というイメージがあるのです。
太宰自身が厭世的な金持ちのボンボン特有のいやらしさを現しているとすれば、映画版太宰は金持ちのボンボンの頼りなさ、人間らしさをすごく現しているのです。

映画版太宰は言います。
「命がけで遊びたい」と。
小説版太宰が同じ事を言ってもまいんは全く共感しません。
というか、太宰の小説は共感できません。
ですが、映画版太宰にはまいんはめちゃめちゃ共感するのです。
後半になっていくにつれ、「太宰は自分か」と思い始めます。

小説の中で太宰は前半で人間の生活が理解できない、信じ合ってもいないのに表面的につきあっている人達が理解できない、と書いていますがむしろ
映画ではそう言った昔の人間の下世話さ、いやらしさ、貪欲さをいきいきと描写しています。
むしろ、それが人間であるとでも言うかのようにです。

映画版太宰はクラブ?で知り合った女性とともに心中しますが、そこにも深い理由は無いのです。

そうなのです、好き勝手生きて好きに死んでるだけなのです。

とことん自分勝手なのです。

まいんは、人を巻き込んで自殺する姿に共感している訳ではありません。

その心中する女性と太宰が一緒に牛乳を飲んでいるシーンがほんの少しだけあるのですが、そのシーンにまいんは何故かすごいのびのびとした感性、生きる事の喜びのようなものを見ているような気がするのです。

まいんは、特に前半の方にはそう感じるんですが、映画版の太宰は死よりもむしろ生に向かって生きているという感じがするのです。その生きる姿勢が、屈折しているだけという気もします。

まいんがそう感じるのには、この映画の映像の美しさも理由にあると思います。
映像によるイメージによってすごく昔の人間のリッチさ、いきいきとしたものを感じるんだと思います。
きっと小説を読んでもこんな感想は持たないでしょう。何故なら太宰の文章がこんなに絵画的とは思わないからです。

映画版人間失格は、昔の人ののびのびと生きる姿、そして世の中に対する厭世観ではなく誰もが持つ生まれながらに自分は人間ではないという気持ちの中で揺れる普通の人間を描いた作品だと思います。

まいんはこの映画を見て確信した事が2つあります。
この映画は近年まれに見る真面目な日本映画の傑作であるという事。
そして、
ジャニーズが出てるから絶対評価されないという事。

でも、ひょっとしたらまいんはジャニオタで先入観を持たずに観れたぶんラッキーだったのかもしれません。

これから映画を観る方は、映画と小説は全くの別の作品であるという事、そしてどちらの太宰に共感するかはその人の価値観の自由だという事を頭に入れて観て欲しいです。

中には絶対に小説とは違うから映画は観ないという人もいると思います。
それはそれでありだとまいんは思います。

実際映画の太宰は小説の太宰とは全く別物だからです。
そこらへんに寛容な人は映画版を観に行っても楽しめるのではないかと思います。

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釣られクマ

>何故なら映画に描かれてる太宰と小説に見られる葉蔵(太宰)はまるで別物なのです。
これって原作クラッシャーってやつですか
映画版のウケがいいようならセーフなのかな
by 釣られクマ (2010-03-12 10:28) 

マイン

釣られクマさんコメントありがとうございます。

多分大筋は同じだと思うんですが、描写のしかたが違うので、
そこが違ったらだいぶ主人公(葉蔵)に対する観客の受け取り方が
違うかなあと。。。
原作クラッシャーといえば、映画に出てくる中原中也は原作には
出てこないのですが、(中原中也には正直一番期待してなかったんですが)
この原作オリジナルの存在によってより作品が引き締まったし、
主人公(葉蔵)への共感もできたかなあと。。。
でも太宰ファンが見たらこんなの人間失格じゃない!!と思うんでしょうかね。
でも作品の品位を落とすアレンジではない、と思うんですが、
実際のところどうなんでしょね。(^_^:)

by マイン (2010-03-12 22:37) 

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