手離す技術。 [本]
みなさん、雀鬼と呼ばれる桜井章一という人をご存知でしょうか?
麻雀の代打ちで名を馳せた人であり、この方を主人公にした映画や漫画も出ています。
まいんは、漫画から入ったくちであり、「桜井章一、かっこええなあ」と憧れましたが、彼自身の著書を読んだ時は
「神懸かりすぎて、よくわからん」と思ったものです。
しかし、そんな桜井章一の新書が、講談社から三冊ほど出ています。
その中の一冊が、大変深く感銘を受けたというか、もう人生のバイブルにしようかと思うぐらい面白かったです。
桜井 章一 手離す技術
情報を自分の中に取り入れるということは、ある意味、食事みたいなものだと私は考えている。いったん自分の中に取り入れ、必要のないものは捨てていく。
しかしながら、世の多くの人は取り入れたものを捨てようとはしない。腹が減ってもいないのに情報を次々に取り込んでいる。情報は四六時中、垂れ流されているので、人々は精神的なメタボリック症候群になってしまっているのだ。
暗いニュースで腹を膨らませた現代人は、なおさら「世の中は暗いのだ」という感覚になりやすい。情報に洗脳され、本来自分の持っていた明るさまで自ら消してしまっている。
「山びこ」感覚とはなにか。山や谷間に向かって声を発すると、微妙な間を置いて自分の声が返ってくるだろう。まさしくこの「山びこ」を自分自身の中に持てば、自分の存在、自分の立ち位置がそのつど確認できる。
なにをするにしても「やったらやりっ放し」ではいけない。自分の生き方が「山びこ」のように、微妙な間合いで自分自身に返ってくる。自身の中にある「山びこ」は、いわば時間差で自分自身の姿を目の前に映し出してくれる鏡なのである。
そんな意識をちょっとでも持てば、自分らしさというものを少しずつ取り戻すことができるだろう。 発した声と同時に返ってくるのではその声を確認できないが、「山びこ」はじつに絶妙な間合いで自分のもとに返ってくる。それと同じように、「山びこ」感覚を持つにしても自分の中に「いい間」をつくらなければ、自分自身をうまく確認することはできない。
人間関係の間合い、ものごとの間合いなど、日々の暮らしの中でいろいろなものとの間合いをうまく保つようにすれば、自然と自分の中に「いい間」が生まれてくる。
私の行きつけの床屋のオヤジさんは、父親から「おまえは能がねえんだから、せめて笑って生きろ」と言われて育ったらしい。
しかし私は、彼が無能だとはちっとも思わない。むしろ、どの業界に生きていたとしてもそれなりの成功を収めていただろうと思う。能のある人というのは、えてしてどの世界でも生きていける柔軟さ、臨機応変さみたいなものを持ち合わせているものなのだ。
まいんは、最後の文章を読んだ時に
「そうか」となんだか腑に落ちた感じがしました。
世の中では「人間力」という言葉がよく使われますが、「人間力ってなんだろう?結局は人間力より能力が高い事の方が大事なんじゃないか。人間の個性や人格は様々なんだから、人間力なんてそう簡単に測れるものではないのでは。。。」
等と思っていました。しかし、桜井章一さんの文章を読むうちに、
「結局、難しい事ができるよりも、基本的な事、簡単な事ができる事が大事だ」
と感じました。
基本的な事、当たり前の事ができる人は、難しい事が起こっても例え知識自体はなくてもある程度対応できると思ったのです。それが、ある意味では「人間力」という事なのかもしれません。
なんというか、まいんが前々から考えていた事に対しての答えが見つかったような感じがしました
勝ち負けの世界に身を置き続けながら、勝ち負けにこだわらない事を良しとする桜井章一さんの本、これからのバイブルにします
麻雀の代打ちで名を馳せた人であり、この方を主人公にした映画や漫画も出ています。
まいんは、漫画から入ったくちであり、「桜井章一、かっこええなあ」と憧れましたが、彼自身の著書を読んだ時は
「神懸かりすぎて、よくわからん」と思ったものです。
しかし、そんな桜井章一の新書が、講談社から三冊ほど出ています。
その中の一冊が、大変深く感銘を受けたというか、もう人生のバイブルにしようかと思うぐらい面白かったです。
桜井 章一 手離す技術
情報を自分の中に取り入れるということは、ある意味、食事みたいなものだと私は考えている。いったん自分の中に取り入れ、必要のないものは捨てていく。
しかしながら、世の多くの人は取り入れたものを捨てようとはしない。腹が減ってもいないのに情報を次々に取り込んでいる。情報は四六時中、垂れ流されているので、人々は精神的なメタボリック症候群になってしまっているのだ。
暗いニュースで腹を膨らませた現代人は、なおさら「世の中は暗いのだ」という感覚になりやすい。情報に洗脳され、本来自分の持っていた明るさまで自ら消してしまっている。
「山びこ」感覚とはなにか。山や谷間に向かって声を発すると、微妙な間を置いて自分の声が返ってくるだろう。まさしくこの「山びこ」を自分自身の中に持てば、自分の存在、自分の立ち位置がそのつど確認できる。
なにをするにしても「やったらやりっ放し」ではいけない。自分の生き方が「山びこ」のように、微妙な間合いで自分自身に返ってくる。自身の中にある「山びこ」は、いわば時間差で自分自身の姿を目の前に映し出してくれる鏡なのである。
そんな意識をちょっとでも持てば、自分らしさというものを少しずつ取り戻すことができるだろう。 発した声と同時に返ってくるのではその声を確認できないが、「山びこ」はじつに絶妙な間合いで自分のもとに返ってくる。それと同じように、「山びこ」感覚を持つにしても自分の中に「いい間」をつくらなければ、自分自身をうまく確認することはできない。
人間関係の間合い、ものごとの間合いなど、日々の暮らしの中でいろいろなものとの間合いをうまく保つようにすれば、自然と自分の中に「いい間」が生まれてくる。
私の行きつけの床屋のオヤジさんは、父親から「おまえは能がねえんだから、せめて笑って生きろ」と言われて育ったらしい。
しかし私は、彼が無能だとはちっとも思わない。むしろ、どの業界に生きていたとしてもそれなりの成功を収めていただろうと思う。能のある人というのは、えてしてどの世界でも生きていける柔軟さ、臨機応変さみたいなものを持ち合わせているものなのだ。
まいんは、最後の文章を読んだ時に
「そうか」となんだか腑に落ちた感じがしました。
世の中では「人間力」という言葉がよく使われますが、「人間力ってなんだろう?結局は人間力より能力が高い事の方が大事なんじゃないか。人間の個性や人格は様々なんだから、人間力なんてそう簡単に測れるものではないのでは。。。」
等と思っていました。しかし、桜井章一さんの文章を読むうちに、
「結局、難しい事ができるよりも、基本的な事、簡単な事ができる事が大事だ」
と感じました。
基本的な事、当たり前の事ができる人は、難しい事が起こっても例え知識自体はなくてもある程度対応できると思ったのです。それが、ある意味では「人間力」という事なのかもしれません。
なんというか、まいんが前々から考えていた事に対しての答えが見つかったような感じがしました
勝ち負けの世界に身を置き続けながら、勝ち負けにこだわらない事を良しとする桜井章一さんの本、これからのバイブルにします
スピリチュアル戯れ言。 [雑感]
どうしてあなたの悩みは消えないのか。
何故同じ場所に堂々巡りで戻ってくるのか。
何故あなたは何度も似たような悩みを抱えているのか。
スピリチュアルや占いや宗教で何故あなたの迷いは晴れないのか。
そのたった一つの答えをまいんは見つけた。
何故あなたの悩みは消えないのか。
それは、あなたの苦しみを他人がシェアしてくれないからだ。
他人や神を信じるでもなく、具体的に何かをしてもらうでもなく、依存するでもなく、愚痴を言うでもない。
ただ、苦しみをシェアしてもらうだけ。
この事に気づいた時、まいんは「それは全ての悩みが解決しないわけだ。。。」と思った。
他人に苦しみをシェアしてもらう、
ただそれだけの事なのである。
何故同じ場所に堂々巡りで戻ってくるのか。
何故あなたは何度も似たような悩みを抱えているのか。
スピリチュアルや占いや宗教で何故あなたの迷いは晴れないのか。
そのたった一つの答えをまいんは見つけた。
何故あなたの悩みは消えないのか。
それは、あなたの苦しみを他人がシェアしてくれないからだ。
他人や神を信じるでもなく、具体的に何かをしてもらうでもなく、依存するでもなく、愚痴を言うでもない。
ただ、苦しみをシェアしてもらうだけ。
この事に気づいた時、まいんは「それは全ての悩みが解決しないわけだ。。。」と思った。
他人に苦しみをシェアしてもらう、
ただそれだけの事なのである。
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